My Dear Friend...
今日はセカンドアドヴェント。2本目のキャンドルに火を点します。ついこの間、ファーストアドヴェントのキャンドルに火を点けたばかりのような気がしますが、もう1週間がたっちゃっいました。「時の流れは、王様にも平民にも平等に流れる」みたいなことをいいますよね。
だけど、このアドヴェントの時期はもう少しゆっくりと流れてくれるといいのになぁ・・・なんて、自分勝手なことを考えたりします。
ところで今日のクリスマスカードは、アンティークなものの中でちょっと珍しいカードを見つけましたので、それを送ることにしました。何と日本の扇子にポインセチアが描かれているという、とても不思議なデザインです。
確証はありませんけど、恐らく1900年前後(日本では明治時代)に作られたものではないかな・・・?と、勝手に決め付けたりしています。ペリーが来航したのが1853年。勝海舟達がサンフランシスコに向けて出航したのが1860年。日米修好通商条約が締結され、様々な日本の伝統工芸品がその後アメリカに向けて海を渡ることになります。
当然そういったものの中には、日本古来の扇子が入っていたとしても全然不思議ではありません。色んな人の手を渡り、そのうちの誰かが「この(扇子の)デザインはエキゾチックで素晴らしい!」と考えたとしても、あり得ない話ではないと思います。
話は違いますが、「クリスマスの星」あるいは「クリスマスフラワー」と呼ばれる、このシーズンに欠かせないポインセチアは、1825年にメキシコ駐在のアメリカ大使ポインセット氏により合衆国に持ち込まれました。ポインセチアという花の名前は、このポインセット氏の名前にちなんでのものだという説が一般的です。
日本には1886年頃には、既に伝えられていたといいます。和名を「猩々木(しょうじょうぼく)」といいますが、これは苞葉の赤い色が大酒のみの赤い顔の色に似ている事からつけられたといいます。全然クリスマスと関係ないところが、いかにも当時の日本の国内事情を彷彿とさせますね。
ちょっと脱線しちゃいましたが、その頃のアメリカにはクリスマスシーズンに咲く赤い花がありませんでした。赤色はキリストが流した血を意味し、同時に冬至を境とした長く暗いヨーロッパの冬を彩り、しかも日持ちがする果実「りんご」の色でもあったのです。ですので緑・白・金などの色と共にクリスマスのシンボルカラーである赤色の花が、アメリカで爆発的に広まるには、それほど時間が掛からなかったことと思います。
元々合衆国国内には存在していなかった扇子とポインセチア・・・。そう思って当時の人の気持ちになると、とてもエキゾチックに思えてくるでしょう? (^^)
きっと当時の誰かが同じ事を考えたんでしょうね。それでこの「ポインセチアの絵柄の入った扇子」というデザインのクリスマスカードが作られたのではないでしょうか?
もっとも全てhideの勝手な想像ですから、「学術的な裏づけは?」とか攻め寄られるとサッサと逃げちゃいます♪ (^^ゞ このカードが好評だったかどうかまでは確かめるすべはありませんけど、たった1枚のクリスマスカードからこんな風に想像の翼を広げていくって楽しいですよね。
ちなみにポインセチアの花言葉は「私の心は燃えている」などという、意味深なものだったりします。(笑) そしてポインセチアデーというものがあり、12月12日に定められています。何をする日か分からない人はいないと思いますけど、下に分かりやすい画像を貼り付けておきますので、よ〜くご覧下さい。 (^^)
日本ではポピュラーではありませんが、クリスマスシーズンにそういうステキな日があるということを覚えていてもらえると嬉しいです。
え?何で12日に書かないのか?ですって。だって・・・、当日書いたら心の準備が出来ない・・・。 "^_^"
何か長い文章で「クリスマスあれこれ」みたいになっちゃった・・・。 (~_~;)
とてもクリスマスカードに書ききれる量ではありませんよね。ゴメンなさい。m(__)m
次は簡潔にまとまるといいなあ・・・。
ではまた明日。