Memories of Xmas Count Down

 

 

    ここを訪れるようになって3年になります。

    始めはクリスマス以後は見られないのかと思っていましたが、
    いつでも視聴出来ると知ってほっと?したものでした。
    これを作っておられる方のハートフルな気持ちが伝わってくるようで、
    本当に素晴らしいページだと思っています。

    訪問者への書き込み要請があるとは気が付かなかったものですから、
    長い間お礼も申し上げず失礼しました。

    今年は2才になる孫娘を膝に、何度も絵と音を楽しませて頂きました。
    彼女はクリスマス以後も、サンタさんが大好きなのです。

    また 七十路でパソコンを始めている同級生の女性の方々に
    このホームページを知らせてあげたところ、大変に感謝されました。

    彼女たちが受けた感動を、そのメールから引用してお知らせします。

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    早速ホームページを見ました。
    可愛い絵と音楽、こんなに素晴しいものを、教えて頂き嬉しく思って居ます。

    カードの送信も、お陰さまで解りましたので、孫(15歳男、12歳女)達に、
    腕の見せ所だと思い、送信しました。
    孫たちは、ワクワクしながら送信者の名前を見て、祖母の名に、
    ガッカリ・・・の、お年頃・・

    「お祖母ちゃんで、悪かったわね!!」・・・と心で叫んでいます。
    きっとガールフレンド、ボーイフレンドを、期待したでしょうから。
    今後とも、良い情報を御教え下さるとの事、嬉しく思っています。

    今日はイブ、幼い頃枕もとに靴下を吊るし、風呂場の煙突を何時間も見張っていた私・・
    不思議で不思議でたまりませんでした。

    翌朝、片町の不二家に売っていたチョコレートで出来た
    西洋の家のお菓子が置いて有りました。
    私「サンタクロースは、不二家に行ったのかねー」と言ったら、
    両親は一瞬、しらーっと顔見合わせた光景を不思議に思いました。

    でも小学3年生まで、サンタを信じていました。
    当時は、学校で話しても、誰もサンタを知らず、サンタにプレゼントされる私は、
    きっと、良い子なんだわ!!と思っていました。

    今では、その様な世界と程遠く、感動探し、喜び探しを心してしなくっちゃねー・・・

    来年も、私に、喜びと、感動のお恵みを・・・アーメンの気持ちです。

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    聖夜を聞いているうちに昭和38年始めての東京でのクリスマスの夜、
    どこかの教会の前で聞こえてきた時の孤独感を思い出しました。
    若い頃はこれでも今とは大違い、多感でしたから。

    インターネットでは、いろんな楽しい経験ができるものなのですね。
    賢い鳥になりたいけれど(わたしは酉年)すこし骨が折れます。

    楽しい夜を有り難うございました。 おやすみなさい。

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    多くの人々が、感動と 喜びと 安らぎを得られるこのホームページが、
    これからもずーっと、クリスマスの定番ページとして続くことを願っております。

    今年も有り難うございました。

     

                      2002.12.28. T様

                           

 

     

    書き込みを要請したり強制しているつもりは全然なかったのですが、
    言葉を選び間違えると、そうお感じになる方もおられるんだ・・・。

    これはショックでもあり、貴重な体験ともなりました。
    何事をも真摯に受け止める方には、表現をよほど注意しないと・・・、
    などとコミュニケーションの難しさに気づいたのがこの頃です。

    これ以降、自分の中では精一杯の注意を働かせているものの、
    どこまでそれがクリア出来たのやら。少々不安ではあります。

    しかし、人生の先輩の方に聞かせていただくクリスマスの思い出は、
    三丁目の夕日ではありませんが、特別にノスタルジックな感情が蘇ります。

    あの当時、昭和三十年代の洋菓子といえば、全国区では不二家さん。
    そしてhideのように、関西で子供時代を過ごした人にはパルナスさんかなと思います。
    (不二家さんはご存じの通り、そしてパルナスさんは2002年に廃業されました。)

    不二家さんは言わずとしれたペコちゃん、ポコちゃんのマスコット人形。
    パルナスさんは、日曜の朝、白黒テレビで流れていたCMソングが忘れられません。

    〜♪あまいお菓子のお国の便り、おとぎの国のロシアの
       夢のおソリが運んでくれた・・・

    実はこの歌はCD化されていたりします。CMのオムニバスアルバムなのですが、
    こちら(新星堂さんのサイト)で少しだけお聞きいただけます。

    ピロシキが有名なパルナスさんでしたので、「パルピロ、パルピロ〜♪」という
    CMソングもよく耳にしたものです。もちろんお菓子やさんですから、クリスマスケーキも。
    ただし今とは違って、こってりのバタークリーム全盛時代でしたから、
    子ども心にもかなりヘビーなデザートだった記憶があります。

    ですので何かの間違い(?)で生クリームのケーキを食べられた時は、
    もう本当に・・・これぞ至福のひと時っていう感じでした。
    メロンとかの高級生フルーツがのっていて・・・。

    普段のバタークリームのケーキはフルーツなんかのっていなくて、
    色のついたゼリーとか、仁丹みたいな銀色の丸いのが
    その代わりの飾り付けでしたから。
    まあ、五十年近く昔の、思い出話なんですけどね。

    話は戻りますけど、七十代になっても同級生の方と連絡を取り合っているって、
    とっても素敵なお話ですよね。
    一生付き合える友人というのは、人生のクリスマスプレゼントなのかもしれないって。
    そんな風に思えるお便りでした。

    素敵なお便りをどうもありがとうございました。

     

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Silent Night