Santa Claus is coming town 

Wherever I go

わしはどこへだって出かけるぞ!
-サンタクロースの服はなぜ赤い?-

santa claus

 サンタの服はなぜ赤いのでしょうか?雪の中で目立つから?赤は、クリスマスのシンボルカラーのひとつだから?
 きっとどちらも、正解です。でも、サンタの服は「赤」と決まるまでに、実は青や白。紫色の服を着たサンタがいたことも、事実です。
 ちょっと文章が長いかもしれませんが、今の私たちが抱いているサンタクロースのイメージが、いつ頃出来たのかを調べてみました。画像と共にご紹介いたしますので、どうぞごゆっくりお読みになってみてください。

 このページのタイトルの"Wherever I go"というのは、コカ・コーラ社が1943年に作った広告用看板に、サンタの絵と一緒に書かれていたキャッチコピーです。つまり、世界中どこにでも出かけるのは、サンタクロースだけではなく、彼が手にしたコカ・コーラも一緒だという訳なのです。
 そして、これを巨大な資本力と特有の広告戦略で全米へ、さらには全世界へと広げていった結果が、今の私たちが持っている、サンタクロース・イメージになったといえるでしょう。

 サンタクロースのモットーは、「『子供のいるところだったら、どこへでも出かけるぞ』。そして、「人間のいるところだったら、どこへだって売りに出かけるぞ」が、コカ・コーラ社の目標です。

 1892年に設立されたザ・コカ・コーラ・カンパニーですが、会社設立初年度にして、すでに広告費は1万1400$にも及び、原材料費の半分を超えていました。しかし、それだけの広告費を投入しても、なかなか開拓できない市場がありました。そう、女性と子供たちです。

            

 当時、コカ・コーラには麻薬(コカイン)や多量のカフェイン、アルコールが入っているという、暗くて悪い危険な飲料としてのイメージが、強くまとわりついていました。この、イメージを払拭して、子供市場を開拓するために起用されたキャラクターがありました。

 それが、サンタクロースだったのです。それまでにも、詩や小説、木版印刷物、それに1918年に、雑誌としては初めて発売部数が200万部を超えた、「ザ・サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙などで紹介される事で、徐々にサンタクロースのイメージは出来上がってきていました。

 ですので、おそらくコカ・コーラ社が宣伝に利用しなくても、私たちが抱いているサンタと、それほど大きく違わないイメージには、なったことと思います。しかし、『決定的に・世界中に・爆発的に・ヴィジュアル優先で』広まった功績というのは、やはりコカ・コーラ社のおかげだといえるのではないでしょうか?


聖ニコラウスのイメージ

聖ニコラウス1

聖ニコラウス2

 サンタクロース伝説の主人公は、聖ニコウラス(英語読みでは「ニコラス」)です。かつて、ミュラと呼ばれたギリシア人の町(現在のトルコのデムレ)の司教を勤め、271年(あるいは280年)から、342年12月6日まで生きていたと伝えられますが、あまり詳しい事は分からないようです。ただ、様々な伝説を持った守護聖人であり、興味を惹かれるものがありますので、またいつか、別のページでご紹介したいと思います。

 今は、とりあえず聖ニコラウスが、サンタクロースの原型となったのだと、ご理解ください。上の画像は、セント・ニコラウス祭の模様(だと思う)ですが、白くて長いヒゲの聖ニコラウスに、私たちの抱いているサンタのイメージを重ねることが出来ます。


様々な色のコスチュームをまとったサンタクロース

白サンタ

青サンタ(小人?)

紫サンタ

青サンタ

毛皮サンタ

 1800年代から、1900年代初頭にかけてのクリスマスカードは、サンタ情報の宝庫です。ここにも5枚を、ご紹介しましたが、私たちの知っているサンタとは、かなり違っているのではないでしょうか?

  • 上左・・・白の服に、赤いガウンをまとい、手には子供たちへのプレゼントを持っています。でも、ちょっとスマート過ぎますね。足元は、どうも短靴のように見えます。
  • 上中・・・毛皮で縁取りされた、青のコスチューム。ブーツを履いているのはいいのですが、プレゼントがカゴに入っているというのは・・・、ちょっと幻滅? なんだか、「小人のおじいさん」のようにも、見えますね。
  • 上右・・・紫のコスチュームが、ちょっとカッコ良いかな?  プレゼントが、ラッピングされているところが、見ようによっては、買い物帰りのおじいさんに、見えなくも無いですね。
  • 下左・・・抱えているツリーでよく分かりませんが、縁に毛皮のボアをあしらった、青のコスチュームですね。
  • 下右・・・こちらは、毛皮で上から下までコーディネート? 左手にバスケットを持っていますが、ちゃんとプレゼントを入れる袋を、肩にかついでいますね。破れて中身が見えているのは、ご愛嬌でしょうか?

 服の色が違うのはともかく、それ以外でちょっと違和感を感じた方も、おられるかもしれませんね。あの福福しいというか、ビア樽のように太った体型や、おじいさんのはずなのに、その瞳には子供の心が宿っているような輝きがあるはずなのに、この5枚のカードの中のサンタには、それがあまり感じられません。
 間違っても、「Ho!Ho!Ho!」とは、言いそうにありませんものね・・・。そう、あの突き抜けたような、明るさが感じられないのが、この違和感の正体なのかもしれませんね。


サンタの服が赤いわけ

クリスマスの前の夜のことです。家の中では、ネズミさえ寝入って、物音ひとつ聞こえません。
煙突のそばには、きちんと靴下がつるされて、聖ニコラスの到着を今か今かと待っています。

*中略

降ったばかりの雪の上に出た月が、あたりを真昼のように輝かせていました。
その時、不思議そうに見つめる私の目に映ったのは、小さなソリと八頭の小さなトナカイでした。

*中略

まるまると太った、本当に陽気なおじいさん小人で、その姿に、私は思わず笑ってしまいました。
ウインクして見せたり、首をかしげて見せたりで、少しも怖がる必要などないと、すぐに分かりました。

聖ニコラスは、黙々と仕事に取りかかりました。どの靴下にもプレゼントをいっぱい詰め込んで、くるっと向きを変えました。
鼻の横に指を当てると、こっくりとうなずいてから、煙突を上っていきました。

聖ニコラスはソリに跳び乗ると、トナカイたちに口笛の合図を送り、アザミの綿毛のように飛び去っていきました。
でも、彼の姿が消えた時、大きな叫び声が聞こえてきました。

「皆さん、ハッピー・クリスマス。すてきな夜になりますように。」

                  

 上の詩は、1822年にニューヨークに住む神学者クレメント・クラーク・ムーア(1779〜1863)が、自分の子供たちのために作ったと伝えられる、「聖ニコラスの訪問」です。

 この詩の中で聖ニコラスは、初めて八頭ものトナカイがひく、ソリに乗って空を飛ぶこと。まるまると太ったおじいさんであることが、語られました。
 この中では、まだ「小人」として登場していますが、それ以外は私たちが、サンタクロースと聞いて思い浮かべる、やさしくて気のいいおじいさんの姿や、トナカイソリのイメージがそのままかかれています。そう、サンタクロースのイメージは、このムーアの詩によって生まれ、広く定着していったのです。

 その後、アメリカは南北戦争(1861〜1865)を経て、飛躍的な経済成長をとげます。この時代に活躍した画家に、トーマス・ナスト(1840〜1902)がいます。
 ナストは政治イラストレイターとして活躍するかたわら、サンタクロースの絵を描くという、別の顔も持っていました。ナストのサンタクロースは、1863年に「ハーバーズ・イラストレイテッド・マガジン」誌上に登場し、その後さまざまな雑誌に掲載されて、最終的には「トーマス・ナストのクリスマス絵画集(1890)」として、編集出版されました。そして、これ以降、サンタクロースは一気に知名度を高め、雑誌広告やデパートの売り場で、活躍を始めることになります。

 では、ナストが描いたサンタクロースとは、どのようなものだったのでしょうか?ナストのサンタクロースは、全身を毛皮服で包んでいます。もともと、ムーアの「聖ニコラスの訪問」の中でも、サンタは毛皮の服を着ていたのです。そして、ナストのサンタクロースが着ている毛皮服には、注目すべき特徴があります。現代のサンタクロースのガウンが赤いのと同様に、ナストの毛皮服も赤っぽいという点です。

 そして、サンタクロースのモデルである、聖ニコラウスがキリスト教の司教であり、古来、司教服がつねに赤かったことも、知っておくべきかもしれません。
 この司教の赤色は、自らの身体や命をなげうってでも、信者たちの幸せのためにつくすべき司教の覚悟。
 すなわち彼が流す血の色を示すと言われます。もっとも、司教服の赤は、どちらかといえば紫に近い赤色ですから、光の加減によっては、青に近い色に見えることがあったかもしれませんね。

 ムーアの詩の中の小人のおじいさんが、ナストによって、より具体的な形で発表されたあと、前述の「ザ・サタデー・イヴニング・ポスト」で、いわゆる”富める階層”を中心に、サンタクロースが知られて行く事になります。そうして、始めにご紹介したコカ・コーラ社の手により、広く世界中に、広がる事になった訳です。

 もっとも、ナストから始まり、ジョゼフ・C・ライエンデッカー(1874〜1951)、ノーマン・ロックウェル(1894〜1978)が「ザ・サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙に描いたサンタクロースと、コカ・コーラ社のサンタクロースを描いた、ハドン・サンドブロム(1899〜1976)のサンタには、決定的ともいえる違いがあります。それは・・・

 サンドブロムのサンタクロースは、『あどけない童顔である』という点です。細かいことを言えば、ライエンデッカーのサンタとは、「帽子の先に金色の鈴が付いている」、「ガウンにも金色のボタンが付いている」、「靴が紐靴からロングブーツになった」という違いがありますが、それ以上に大きな違いとして感じられます。
 そして、それは「家族で過ごすクリスマス」という生活様式の変化のシンボルとして、女性層を中心に好意を持って、受け入れられることにつながっていったのでした。
 (ライエンデッカーのサンタは、同じように太っていて、赤い服を着ていますが、「陰気」に見えたため、全ての人に歓迎されるまでには、至りませんでした。)

          

 今の私たちが「サンタクロース」に対して持っている、様々なイメージは、実にこのサンドブロムの手によって、創造されたといっても、決して過言ではありません。誰にでも、それこそ国籍・人種を問わず、文字が読める読めないにかかわらず、浸透できたのは、ひとえにコカ・コーラ社の広告宣伝力によるものだと、いえると思います。

 青や紫、白の服を着たサンタクロース。きっとあなたは、「そんなサンタがいる訳がない」と、初めはお感じになったことでしょう。
 でも、歴史の中にちゃんと存在していたのが、お分かりいただけた事と思います。そして、何人ものクリエイターの手を経て、私たちが良く知っている、サンタクロースのイメージが形作られていきました。そして、もっとも大切な事は、一般の大衆が「喜んで受け入れることの出来るイメージであった」という、点にかかっているのだと思います。

 もしもコカ・コーラ社が、キャラクターとして採用していなければ?

 ひょっとすると、まだ様々な色の服を着たサンタクロースが、世界中を飛び回っていたのかもしれませんね。
 「今年のサンタカラーは、”青”が主流です。」なんていう、流行情報もあったりして・・・。(それはそれで楽しいかも?)
 長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

2001.01.23.
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