崖っぷちに追い詰められた(?)大人たちを、アメリカの新聞記事が見事に救いました。1925年のことです。
「草の無い北極に、草を食べるトナカイが住んでいる訳が無い。子供たちの言う通りだ!だって北極じゃなく、サンタクロースはラップランドに住んでいるんだから!」
このトピックスにはアメリカ中の子供たちが沸き立ちました。もっともラップランド説が書かれた根拠というのは、よく分かっていなくて、そこにトナカイがたくさん住んでいるのに、新聞が目をつけたから・・・というのが真相かもしれません。
その追求は置いておくとして、子供たちは地図帳を引っくり返して、
「ラップランド?どこそれ??」と夢中になって探したそうです。
このラップランド説を後押しする意見が、今度は1927年に出されました。フィンランド国営放送ウレイスラジオのパーソナリティをしていた、マーカスおじさんことマークス・ローシオ
(Markus Rautio)が、番組の中で決定的な発言をしたのです。
「サンタクロース(番組では”ファーザー・クリスマス”と言ってます)は、ラップランドの耳山に住んでるんだよ。どうしてかって?その耳で本当にいい子でいるか、悪い子でいるかを、ちゃんと聞いているのさ!」
これはマーカスの完全な創作でした。彼はアメリカの子供たちの騒動と、「耳山」という名前を結びつけて楽しいお話を作ろうとしただけだったのです。けれども、この「お話」はマーカスが考えていたレベルをはるかに超えて、大ヒットしました。戦争や金融不安で揺れていた時代でしたから、人々は夢を求めていたからなのかもしれません。
さらに、「耳山」が、世界の耳目をあつめる「事件」が起こります。
第2次大戦後、ロシアは、山全部をロシア領(元々は山頂がロシアとフィンランドの国境線)とする要求をフィンランドにつきつけたのです。
ロシアは強硬で、フィンランドは譲歩せざるを得なくなりそうな気配でした。しかしフィンランド政府は、フィンランドの子供たちにとって、耳山がどれだけ大切な山であるかを説明しました。それを聞いたロシア側は態度を和らげ、やがてその要求自体も取り下げられたのです。
これは考えようによれば、「ロシア政府は、『耳山』をサンタクロースの聖地だと公式に認めた」ということにもなります。こうして、「耳山」は世界的に「公認」されることになったのです。
耳山というのはラップランドのサヴコスキにある高い丘です。地元ではKORVATUNTURI(コルバトゥントゥリ)と呼ばれています。
その標高は一番高いところで483mで、3つの峰があり、フィンランドとロシアの国境になっています。岩肌がむきだした禿山で、その形に特徴があり、見る場所によっては、「野うさぎの耳」のようにも見えるので、「耳山」と呼ばれています。
実はここはフィンランドのファーザー・クリスマスである「ユールプッキ (Joulupukki)」が住むと言われている場所です。またこの一帯はフィンランドで家畜としても使われているトナカイの育成区にも当たっており、雪に閉ざされているだけの北極よりも、サンタが住むにうってつけの場所かもしれません。
しかも、ロシアとの国境に位置している関係上、一般の旅行者は立ち入り禁止となっていますので、『誰も近寄れない』という事実が、ますますこの場所を神秘的なものにしたのかもしれませんね。
ちなみに頂上まで登って耳をすませると、サンタにあてた世界中の子供たちの声が風にのって聞こえてくるそうです。
サンタは時々、黙ってうなずいたり、ほほ笑んだり、眉をしかめたりしながら、子供たちの声を聞いています。でもサンタ以外の人(たとえそれが奥さんであっても)には何も聞こえません。もし「どうしたら聞こえるようになれるの?」とサンタに尋ねたら、きっと黙って耳かきを渡してくれることでしょう。
もっとも子供たちの声は聞こえなくても、ここから眺めることの出来る夕焼けの風景は、トント(上の画像の小人たちのことで、工場でクリスマスのプレゼントを作るお手伝いをしています)たちもお気に入りです。
冬はとても過酷な自然環境なのですが、春や夏になると高山植物が咲き乱れますし、ブルーベリーやキノコの採れるエテラの森や、サーモンやマスは近くを流れるケミヨキ川で獲ることが出来ますので、北極で暮らしていた頃よりも食生活は豊かになったそうです。そんな耳山の麓にサンタクロースの家(というより館)があるのです。